『伊勢佐木ストリート』
『投げ銭ライブ』
この2つで考えた事がかなり近い事なのでまとめて書かせて頂きます。
『一歩の壁』
この様な活動をしていく中で、一つイベントを企画してみました。
当時はずっと同じメンバーでやっていたので、深夜セッションでもお世話になっているa.b.smileに協力をお願いして、安くチャージを設定したライブを企画し、チラシを作り投げ銭ライブやストリートで宣伝してみると言う物です。
当時でもストリート等で投げ銭を1000円札を入れてくれる方も多かったので、チャージは1500円に設定しました。
そもそもミュージックチャージとは、聴きに来て下さる方にとっては「その金額に見合う楽しさがあるかどうかの信頼感」だと思っています。
1500円と言う数字は少し良いお店のランチが食べられる位ですね。
今だったら「いきなりステーキ」もその位の価格帯ですか。
それと同じ位のドキドキ感がジャズクラブのライブにある!と言う信頼感がないと人は来ないと思うのです。
そんな訳で結果はと言うと…
まぁ惨敗ですw
結構チラシも配って、投げ銭ではそこそこ頂いた事もあったし、「時間があったらねー」みたいな言葉も頂いた上でです。
もう、色々考えました。
それは一つ解りやすい理由があるわけではなく色々な事があると思いますが、とにもかくにも当時の私達では「ミュージックチャージ」と言う信頼を勝ち得なかったと言う結果だったと思います。
『改善点を考える』
まずは、やはり自分達の演奏レベルを反省しました。
当時やっていたストリートにサックスの竹内直さんが遊びに来てくれた事がありました。
2曲程吹いてくれたのですが、端的に言うと
「足を止める人の数が半端なかった」
です。
そんな風に2曲で道を行く人の心を掴み立ち去っていく大先輩。
残された私たちは触発され鼻息荒く肩に力が入り、いつにもまして駄目な演奏を繰り広げました。
投げ銭ライブでも、結局は「その日の演奏」で投げ銭自体が変わって行きます。
ジャズを普段聴かない方達の前で「プロミュージシャン」として演奏し、グダグダな演奏をしてしまうのは絶体に駄目と言うプレッシャーを強く受け止めようと覚悟を決めました。
そんな風に演奏していく中で、
「ジャズってなんか凄いじゃん」
とか
「この人のライブならチャージ2500円でも行ってみようかな」
っ感じてくれる人が少しでも多く出て来てくれたらと思いながら毎日ベースを弾く様になったと思います。
アンサンブルについても良く考える様になりました。
竹内直さんや、Raymond Mcmorrinとのサックストリオをやっていて言われた事ですが
「サックスの音程を少し高めに当ててるのにベースについて来られると困る」
とか
「もう少しストロングなリズムを出して欲しい」
とか
「その音は正解かもしれないけど、音楽じゃない」
とか
もう必死です。
録音聞き直して色んな角度から考える事を繰り返しました。
そんな様な事をもっと身近なミュージシャンの中でもやって行かなきゃ行けないなと思います。
ストリートでも大変な音環境ですが、高音域と低音域のハモり具合とか、よくやる曲をオールキーやソルフェージュでとか、色々な勉強が出来ます。
横浜に近いミュージシャンで切磋琢磨して、相互理解を深め、一緒に成長して行く仲間を作る大事さを身に染みて感じましたし、そっちの方が楽しいじゃないですかw
やってて楽しいときっと上手くなるスピードも速いと思います。
次は別の視点で。
投げ銭のライブの常連の方でたまにジャズクラブにも足を運んで下さる方がいるのですが、その方が言うのは
「投げ銭のライブは気楽だから行く、でもライブは別。
メンバーだったりチラシだったりで本気かどうかは伝わるから、それが伝わったライブには見に行く。」
との事です。
この言葉は自分の中で大事にさせて頂いてます。
ライブを適当にやっていた訳ではないのですが、一つ一つのライブの本気度を人に伝えるのが本当に必要な事だなと。
前回の話にも繋がりますが、現状では一つ一つのライブに時間をかけて準備して本気度を伝えて、と言う事すら中々出来ないのではと思います。
SNSでの「いいね」では人は来ないし、じゃあどこで告知したらいいのか?とか、お金を使って告知しても来なかったら自分が背負うのか?とか。
考えたのは、「横浜のジャズ」と言う物に対しての「信頼感」を持ってくれている方をまず増やす事。
そのために私達はまずは音楽に対して本気でなければいけないし、伝える事に本気でなければいけないです。
それこそがジャズを身近な文化にするとと言う事で、そうなって初めて広く宣伝する事に意味が出て来るのだと思います。
今現在、YOKOHAMA JAZZ EGGSの活動をしていて投げ銭やストリート等の「こちらから出て行く」と言う事が、その役割の一部を担えたらと思っています。
少し忙しく更新に時間が掛かってしまい、文章の空気感が少し替わってしまった気もしますが気のせいでしょう。