そんなこんなで深夜セッション、伊勢佐木ストリート、投げ銭ライブとスタートさせて行ったのですが、
文化みたいな物を作るのは生半可ではなく色々な壁にぶつかって行きます。
それらがJAZZ EGGSの構想に繋がって行く訳ですが、まずはそれぞれ考えた事を。
『深夜セッション』
始めてから一年~二年が経つ中で常連さんに支えられたり、色々な先輩方が遊びに来てくれたりしました。
これはチャージ払った方が良いんじゃないか?位の組合せでのセッションが実現したり、その中で仲良くなった人達でライブやってるのをFacebookで見てほっこりしたり。
自分自身も色々な方に刺激を受けて試行錯誤しながら上達させてもらいました。
しかし、その中で感じていたのは「若い人が来ない」と言う事です。
今でこそ良く顔を出してくれる若手が何人かいますが当初は全然でした。
横浜で活動する先輩方と若い人達との縦の繋がりを作りたいとの狙いがあったのですが、あまりの反応の薄さにびっくりしたのを覚えています。
その中で感じたのは、
「文化を作るには時間が掛かる」
と言う事と
「いいねだけでは人は集まらない」
と言う事です。
前者は言わずもがなですし、これは全てにおいてですね。
後者ですが、たまに若手が来てくれても
「君いいね。来てくれてありがとう」
って言う位しか出来ない自分を反省しました。
「あそこで認められたら仕事が増える」
とか
「あの人とライブをさせて貰えるかも知れない」
とかです。
そう言った何かゾワゾワする物がないとやっぱり若い人は来ないですよね。
良く東京の方に「横浜は横浜のミュージシャンで仕事が回ってるイメージ」と言われる事がありますが、
確かに上の世代の方で横浜のジャズを作って来てくださった先輩方がいらっしゃいます。
でも、多くの横浜のジャズクラブが東京の方と横浜のアマチュアの方のスケジュールが多めな様に思います。
横浜のジャズとは一体なんなのか。
語弊があったら申し訳ないです。
駆け出し者の妄言と笑ってやって下さい。
ただ、横浜のジャズと言う漠然とした中に
「若手を受け入れる器の大きさ」
だったり
「横浜でプロフェッショナルとして身を立てる」
と言った物が内在されていない気がしました。
一々ニューヨークでの思い出を挟むのは恐縮ですが、あの時感じた「それを出来るシステム」を横浜に作りたいと思う様になりました。
横浜を中心に活動してるミュージシャンが横浜の人と繋がって、横浜で成長して生活出来る様なシステムです。
その想いは今回のレーベル設立の大きなモチベーションの一つになっています。
長くなって来たので一旦終ります。
次は伊勢佐木ストリートで考えた事を。
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